マルチバース”~東京~”
すさまじかったですね台風。
この世に生まれ落とされてからというもの、日本人としてこの国に暮らす中で様々な災害を体験してきました。
幸運なことに命や財産を失うほどの被害を受けることなく今日まで暮らすことができておりましたが、今回の台風によってはじめて我が家でも「被災への備え」を行うこととなりました。
とはいっても飲料水の備蓄と非常食の用意程度のものでそれらも本来の用途で使うほどの被害を受けずに済んだのは幸運というほかないでしょう。
今回の台風19号によって気になったのは平成の世も終わり、新元号に入って5か月強、それらも含めここ10年ほどの間で一番「東京の被災状況の報道時間が長かった」と感じたことです。(個人の体感によって書かれる記事になりますので、歴史的な裏付けのない記事になります。)
10月12日本州に19号が上陸したその日、私は会社からの臨時休業の知らせをもらって自宅待機中でした。廊下には隣町の業務用食品店でまとめ買いした36リットル分の水のペットボトルに四食分の乾パンの缶。風呂場の浴槽には前日の内に貯められていた生活用水の予備がすっぽり収まっていました。
大好きな涼しげな雨音で目を覚まし、リビングに向かうと家族が見ていたのはニュース番組、その日の気象情報をお知らせしてくれる編成のものでした。当たり前ですが。
画面端にはL字の帯状にリアルタイムな交通や雨量風量の情報が流れていましたがここまでなら今までの台風でもよく見た光景です。
気になったのはそこに流れる都内の情報量の多さと長さ、そしてその種類でした。
丸一日から一日半ほど首都圏に暴風雨をもたらした19号。9月に上陸した15号と比べて円の大きさが4倍近くあったらしいですからその規模がうかがい知れます。
ツイッターを除くとまず驚いたのは「新宿駅から人が消えた」という旨が書かれた写真付きのツイートでした。
伽藍洞の改札にぽつりと立ち尽くす駅員二人。私の地元でも改札には常に行き来する人が絶えないので一目でその光景が特殊なものだったのが感じ取れました。
そして浅川、多摩川、利根川と都内を流れる一級河川の氾濫の警戒を促すニュースが流れ始めます。新宿では警戒を促すためにサイレンが街中に響き渡り、秋葉原では雨模様の中誰もいない路上で客引きをするメイドさんの姿。そして雨による倒木でふさがれた中央線のトンネル。
日常の中のノスタルジーとも言えそうな和やかなものから、その場で人ばなくなってもおかしくないであろう無慈悲な自然の爪痕や災害の現場そのものなど、様々な環境変化と人的移動が積み重なって、2019年10月12日。令和初の本格的な台風の東京上陸は、東京都という小さな箱庭の中の景色がこんなにも様々な変化を生み出すことの実証となったのです。
報道の量には偏りがあります。
都内に拠点を置く大手キー局はいかに深刻といえども他県の災害情報を逐一鮮明に伝えていくのは限界があるでしょう。一日中スタジオで「現地の阿部リポーターに聞いてみましょう」と実況生中継を頼むのわけにはいきません。
その為にも、そしてそれ故にSNSによる個人での災害情報の発信が昨今の市民的な防災活動に一役買うようになって久しいです。
そして個人によって細分・鮮明化された「目」は、東京という狭い巨大都市がいかに多様なグラデーションを纏って事象を進めていくか、そしてテレビ局の主観のレンズの外でどのような事実が進んでいるのかを我々に示してくれたように思います。
事前にかつてない規模で警戒や準備を呼びかけられ多くの人が防災対策を行ったであろう今回の台風19号でも残念ながら犠牲者ゼロという訳にはいきませんでした。
久しぶりに起こったこの「被災の主観」を忘れずに生きなければ、我々は失わなくてもいいものまで失ってしまいかねないかもしれません。
私は今回のこの災害によって、己の中の「他人事」を消し去りたいと思っています。